矢幡洋氏が、「拒絶性スタイル」とニートの関連についての仮説を提言している。
「やりたい仕事がわからない」という表現で、就労しないニートは、実は、ある程度類型化された行動パターンがあるという。それは、米国の精神医学会の「精神疾患の分類と診断の手引」(DSM-W)の付録「検討を必要とするカテゴリー」で「拒絶性パーソナリティ障害」として指摘している行動パターンである。矢幡氏は、「拒絶性スタイル」は、一個の疾病として診断的に当てはめるのではなくて、拒絶性パーソナリティ障害に特有なものとは限定せず、複数の性格タイプが共通して用いる戦略とみなす。依存性がまさった性格タイプ全般が共通して用いる対人戦略、共通のツールとしてとらえる。
「拒絶性スタイル」に共通の特徴は、一言でいえば、「消極的抵抗」である。このタイプの人たちは、主に親・教師・職場の上司のような「何らかの要求をしてくる人たち」との関わりにおいて、消極的な抵抗を示す(力関係そのものを転覆させるような激しい「反乱」「闘争」ではない。(注1)。
「消極的抵抗」のしかたには、人によって次のどれかを示す。
- サボタージュ=本当はしたくないような仕事には、故意にゆっくり働いたり、悪い出来になるように見える行動をする。自分の仕事の分担をやらない。
- 引き延ばし=しなければならないことを延期し、期限に間に合わない。
- 当り散らす=やりたくないことをするように言われた時、不機嫌、ひどく怒る、または、理屈っぽく言う。
こういう行動パターンをとるために、このタイプの人達は「仕事につくのに消極的」「職場でうまくいかない」という傾向がある。せっかく、就職しても、職場で上記のような行動をとるために長く勤務できない。家族との間でも、就職に関連することを強く迫られると、上記のような行動をして、就職しようとしない。
なぜ、そういう行動パターンをとるのか、どこから来るのか。
「特にほかに自分がやりたいことがあるわけではないが、他人の意向によって今とは別のステージに連れていかれるのは嫌だ」という漠然とした「変化への恐怖」がある。状況が変われば、もっと厳しい現実が待っているかもしれない。とりあえず今のままでいたい」というのが本音である。
なぜ、やりたいことが見つからないのか、それは「依存性」の生き方から来る。
- 常に群れの中に入ってひたすらその集団の他人と同じように振る舞い、目立たないように同調行動をとって、群れの中で受け入れられるように生きてきた。
- グループや他者への依存性の高い人は、他人の方に視線を向けて、自分の価値観や願望を形成しないままに成長してきた。
こういう行動パターンは、学生時代の、和とか他者との協調という観点からは、肯定的に評価されるところがあるから、破綻は目立たない。しかし、就職や結婚など、基本的に他人の力を頼むことができず、自分ひとりで決断して切り抜けなければならないような局面になって、この生き方が欠点をあらわす。
- 自分固有の意見・価値観が形成されていない。
- 「自分は何をやりたいのか」ということもわからない。
このために、やりたいこともなく、これをやりたいという意欲もない人は、職業世界という未知の世界に出ていくことに不安を感じてしまい、現状維持(不就労)にとどまろうとする傾向がある。
このような心理傾向があって、就職できない状況におきこまれている若者が多数派であろうと矢幡氏は推測している。若いころから、自立心を持ち自己主張ができるように教育されるアメリカには少ないタイプのニートかもしれない。